ネット上での告知が遅れてましたが、6月24日・7月22日は高山市清見町で育林作業があります!間近に迫った24日は彦谷の切越林道奥の場所(分からない方はお気軽にメールをください)です。ドングリの会のシンボルツリーでもある樹齢数百年のミズナラの巨樹がある場所です。その樹の名は“彦左ェ門”!!
作業は1998年から数年にわたり植樹したところの草刈りです。もうだいぶ植樹した苗達も大きくなり、もうそろそろ下草を刈る必要もないかなぁといったところです。ひょっとしたらここでの草刈りは今年が最後になるかも・・・。そうなると“彦左ェ門”ともなかなか会う機会もなくなってしまうかな・・・。
そもそも“彦左ェ門”がなぜ“彦左ェ門”と呼ばれているか?ご存知の方います?
もちろん彦谷にあるから彦なんですが、実はこの辺りにはもともと“木地師”のお話しとともに“彦右ェ門”の民話が残っていましてですねぇ。その“彦右ェ門”にあやかりここの巨樹は“彦左ェ門”と名づけられたようです。
そして、その“彦右ェ門”の民話というのは“木地師”と呼ばれるちょっと謎めいた木工職人たちとともにありまして、当時「木を一本切っただけで打ち首」という御触れがあった中、山から山、森から森へとひっそりと渡り歩き、自由に木を切るという行為を当時唯一認められていた集団であったのです。そして、木を切り倒してはお椀やお盆といった木工製品を作り、それを生活の糧としていたのです。
なにせ山から山、森から森と人目につくことなく暮らしていた彼らなので、その生活は正確には分からず、しかも転々と生活していた為、決まったお墓を持つことが出来ず、森の奥深くにひっそりと小さく祭っていたようです。そのお墓は今でも数個しか見つかっていません。
そんな“木地師”たちや“彦右ェ門”の物語りが今度の作業の場所彦谷には眠っており、今回その物語りを“紙芝居”形式で揺り起こしたいと思います。しかも樹齢数百年の “彦左ェ門”の前で。
物語りは、彦右ェ門が木地師のところへやって来て、あ~なって、こ~なって、娘があ~して、弟がこ~して、チャンバラになって、あーーーっ!!首が~~っ!!って、お話しです。興味のわいた方は是非・・・。
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